2012年12月のサロン
12月22日、イングリッシュ・ガーデンにてサロンを開催しました。
谷田さん夫妻をはじめ、5名の参加がありました。
お菓子をいただきながら今回もあれこれとお話し、以下のような話題が出ました。
- 病気の進み方、その中での心の揺れについて。
- 気晴らしとしての音楽について。病気になったからといって、音楽の好みがかわるわけではないとのお話。新たにベートーベンが好きになったというお話。また別の方、長渕剛や中島みゆきのポジティブで前向きな曲がいいといういうお話。また、音楽がなくとも心を落ち着ける方法をもっているという方のお話。
- 能楽のお話。学生時代の能の経験で身につけた辛抱づよさが、その後生きているとのお話。能は芸事なので、「これでいい」ということがなく、妥協ができないのだそうです。
- いまのNHK朝ドラが「どろどろ」だというお話!
このように今回は、音楽や芸術のもつ力についてのお話になりました。音楽も芸術も、思わぬところで、「余暇のたのしみ」という以上の意味をもってくるものなんですね。(もろおか)
2012年11月のサロン
11月24日、松江イングリッシュ・ガーデンにてホリデーサロンを開催しました。
谷田さん夫婦を含めて、5名の参加がありました。以下、初参加の学生・中田君から、今回あったお話しの報告です。(もろおか)
[近況報告]
・中国ブロック大会で報告。来年鳥取県支部ができるとのこと。
・山口県の個人(看護協会関係者?)がショートステイ施設をはじめた。
・松江にもナーシングホームやショートステイがあればいい。
・ショートステイを利用すればヘルパーや家族も休める。
・学校と併設し、学生のボランティアを。
・松江にも作るにはどうしたらいいだろう。
[入院の話]
・市立病院は食事休憩中、看護師が1人になる
→ナースコールを呼んでもこない。結局1時間以上またされ、他の看護師が帰ってきてから来た。
・ご飯休憩中に一人の看護師だけに任せるのはやめるようにお願いした。
[海士町の話]
・海士町へ旅行に行ったがIターンで若者が多い。
・役場が地域活性を目的にIターンを募集している。
・海士町は活気があってよかった。
2012年9月のサロン
9月22日、ホリデーサロンが開かれました。今回は9名の参加者がありました。
今回出た話題は、次のようなものでした。(もろおか)
- それぞれの近況。時節柄、お墓参りのお話しなど。
- 鳥取県で、ALS患者組織の立ちあげが動いているとのお話。しかし、患者さんの情報がわからないので、呼びかけがしにくいとのこと。鳥取では57人の患者さんがいるはずだが、連絡がとれるのはその内数名。
- ケアマネさんから、ケアの話、患者家族とのコミュニケーションの話。
- 患者と家族のけんかのお話。「呼吸器つけてもけんかはできる」!。仲なおりのきっかけの話など。
- 在宅療養について。たいへんそうにみえるが、在宅なら在宅と決めてしまうことで楽になる部分もある。
- 難病をはじめ、そもそも病気のことをどこまで語るかどうかという問題は大きい。隠すひとも少なくない。
2012年7月のサロン
7月28日、イングリッシュ・ガーデンにてホリデーサロンが行われました。
今回は少人数の会となりましたが、そのぶん、内密のお話(というほどでもないんですけど)も含めて、お互いにゆっくりお話しができたようにおもいます(もろおか)。
2012年6月のサロン
6月23日、イングリッシュガーデンにてホリデーサロンが開かれました。
10名の参加者がありました。今回は心身教育研究所所長・臨床心理士の土江正司さんの参加もあって、密度の濃い対話の時間をもつことができました。以下、サロンの中で出てきた話題です。(もろおか)
[介助の学生バイトについて]
- バイト先では、そこに従事する介助者の数が少ない。しんどいなとおもうこともあるが、同時に、おもしろいこともある。逆に、息抜きにもなっている。
[病気の中で]
- ご家族が病気になって、考え方もかわった。最初診断があったときは、「世界から色がなくなった」感じがした。しかし次第に、ふだんのなにげない生活、いつもとかわりのないことが、「ありがたい」と感じるようになった。
- 人間はステップアップする。状況を受けいれるまで時間はかかるが、受け入れることでそれまでとはちがう、新しい視野が広がることを実感している。
- 運命を受け入れ、折り合いをつけて、生きていくしかない。尊厳死についておもいをめぐらせることがあるけれど、基本的には生き抜くつもり。
- 生きている以上はこの苦しみから逃れられない。それは、病気でなくても、誰もそうなのではないか。また、つらくない人生が楽しい人生であるかと考えると、そうだとも思えない。
[サロンについて]
- 病気で体調はいろいろであるが、自分が出れるときには出るという意識。かならずしも明確な目的がなくても、機会があることを大事にしたい。
- サロンで話をすることは、実はとても大事な機会になっている。家族の中で閉じこもりがちなときに、元気がもらえる機会。
- なんの宿題もなく話をすることは、自分の中を空にするのによい。
[あとに残すこと]
- 「ひとは残さないといけない」ということ。いま持っているものは自分だけのものではない。後の人に残さなくてはならないもの。自分は何を残すかということが大きなテーマ。
- 子どもの成長記録を残している。
- こういう具合に生きてきたというもの、「生き方」を残したい。
[コミュニケーションについて]
- だんだんと話ができなくなることについて、慣れる部分もある。
- 話をすることが難しくなると、聞いている側に話をはしょられてしまう場合がある。介護にあたるときも、はしょったり早合点するのではなく、最後まで聞くことが大切。
- 話を聞くには忍耐が必要!
- 直接の話をしにくくなってきても、メールでのやりとりだと違和感がなかったりする。
- いま思っていることをしゃべることで、すっきりする。
- コミュニケーションは、相手を知ろうとする努力そのもの。担当の看護師さんは全員文字盤が使えるようになった。感謝の気持ちでいっぱいだ。だけど、患者側の努力も並大抵ではない。お互い粘り強く心を開くことが大切だ。
【今後の予定】
7/21 米子でのサロン
7/28 次回のホリデーサロン
2012年4月のサロン
2012年4月28日 のホリデーサロンには、15名の参加がありました。あれこれと話を交わしているうちに、コミュニケーションのとり方が大きな話題になりました。島根県立大学看護学科の学生さん5名の参加があり、「看護師としてのコミュケーションのとり方」についても質問がありました。(もろおか)
■ コミュニケーションの機会
家に籠もりがちな患者は、どうしても家の外のひとと話をする機会が減ってしまう。このことが、さまざまな問題を患者ひとりで、あるいは家族内だけで抱えてしまうことにつながってしまいがち。そうしたとき、このホリデーサロンのようなサロンの開催はひとつの助けになる。
■ 病院でのコミュニケーション
現状では、看護師であっても必ずしも透明文字盤が使えるとはかぎらない。コミュケーションができないことは、単に意思疎通ができないというだけの問題ではなく、医療過誤のつながる可能性がある。つまり、コミュニケーションの方法を確保することは、特殊な医療技術より以前に整えるべき、医療や看護の条件である。
松江医療センターの看護師さんは、最初透明文字盤を使えなかったひともいたが、今ではみなさん使えるようになった。多少の努力でとれるはずのコミュニケーションをとらないままにしている病院があるのは、ふしぎなこと。
■ 病院の忙しさ
コミュニケーション障害への対応が遅れている理由のひとつとして、病院の忙しさがある。現場の人もジレンマを感じている。他方、在宅医療では比較的、コミュニケーション問題への対処が進んでいるところもある。本当は病棟でも対応できなくてはいけないが、なかなか在宅医療での方法を病棟に伝える手段がない。
■ 病いと気持ち
病気とつきあう中で、気持ちが上下することはかならずある。また、介護するひとと患者との気持ちが連動して動くということもある。介護者の気持ち、介護者としての役割の理解も大切。
■ 「心の片づけ方」
落ち込んだとき、問題があらわれたとき、「心の片づけ方」が大事。自分自身で「心の片づけ方」を学ぶこと、またサポートする側になるときは、それを人に伝えるということ。心のサポートでは、相手の心と同調できたときに癒しが起こる。
■ 学生さんからの質問:看護師としてのコミュニケーションのとり方について
患者さんに「このひとならわかってくれる」と思ってもらえる関係をつくること。「相談をしたい」という雰囲気が出すことができれば。患者さんに話してもらわないと分からないことがたくさんあるので、こうした関係をつくることが第一。その過程は時間がかかるかもしれないが。
その上で、その人の欲していることを聞くこと。患者さんは、「本当の気持ち」を話すとはかぎらない。たとえば、内心感謝をしていてもふてくされるような人もいる。
「一言多い」看護師さんはよい。たとえば、「いつでもベルを押してください」「なんでも言ってください」など、声をかけてくれるひと。
■ 男性の看護師
最近は男性の看護師が増えている。どういうわけか、男性はやさしい、女性の方がさばさばしている印象・・・? 男性看護師もだんだんと違和感がない。
■ 「深読み」をしない
患者の側から、看護師さんに気を遣いすぎる必要はない。かつて看護師さんの心を先読みしながら注文やお願いも出していたが、このことをある看護師さんに言われて、ホッとすると同時に、逆にいろんなことがスムーズに進むようになった。
患者の側からはっきりとストレートな主張をすることが、患者自身にとっても、看護・介護をする側にとっても良い場面がある。
[この日のイングリッシュ・ガーデンの景色から]
2012年3月のサロン
3月24日、ホリデーサロンが開かれました。佳和子さんのかつての職場の先輩など、8名の参加がありました。
[病気を経ても精力的に]
- 病気を経ても、日々活躍されているとのお話。激しい運動ができなくても、ボウリングに精を出したり、審判としてスポーツとの係わりを継続。
- また、縫い物などかつてゆっくりできなかったことにもチャレンジ。
- ふだんからの楽天的な姿勢が効いている。
[日々の楽しみ]
- DVDをみたり、CDで音楽を聴いたりといった楽しみのお話。
- 映画や音楽などをパソコンのデータに変換すると、病院など、家の外でも楽しめる。
- しかし、これまで録りためたたくさんのビデオの整理は頭がいたい・・・。
- 宝物は、家族を録ったプライベートなビデオ。ほかでは手に入らないもの。いまは亡くなった親戚が映っていて、声が聞けたりなどするのも、また貴重。
[生と死をめぐるふしぎなエピソード]
- ひとが死を迎えるとき、すでに亡くなった家族が「お迎え」に来るのをみることがあるという話題から。
- 「お迎えがくるまでは、まだまだですよ」という語りかけをする在宅ケア医の話。
- 朝、大山を眺めていたら、亡くなったお父さんの魂が空にのぼっていくのをはっきり「感じた」というお話。
- 亡くなったおばあさんがはっきり見えていたというお話。「虫の知らせ」の話。
[こころの動き]
- いったん決めたことは変えない、と思っても、心は揺れる。(みずから難病患者で『困っているひと』の著者、大野更紗さんの場合。「「患者の意志」は死ぬまで変わり続けます。本人も周囲も「心変わり」し続けます」)
- 心が動くきっかけ。たとえば、透明文字盤を使えない看護師がいる状況について「しかたがない」といった言われ方をするようなとき。
[介護とコミュニケーション]
- とくにALSのような病気では、いかにして周囲とコミュニケーションをとっていくかということが最重要の問題になる。
- 病気の進行につれ、コミュニケーションがとりにくくなる面がある一方、発病前には考えられないほど、家族と深い関わりをもつようになったという面もある。